供用開始当時、フェリーなど海上航路で本土に行き来した不便な生活が一変、押し寄せる観光客と車、水軍城など観光地が人であふれ戸惑う市民、橋上に車を止め海上を眺める人々の車列、路上で農産物柑橘類が面白いほど売れ、今想えば当時は大変な出来事だった。
予想も超える人出に対応出来る土産物など少なく、各町の商工会も土産物作りに追われた。
農協、選果場、みかん問屋、みかん船が集う港の一角に生まれ、柑橘を食べながら育った和菓子店2代目の伸一は、創業以来の看板商品みかん餅の中に、剥いた柑橘の果実を入れた大福を考案、そのなかの一つが「はっさく大福」でした。
試食販売も柑橘関係者が多い市民には売れず、島外の方々相手に細々とつづけた。
やがて有名人の来島により全国に知られる商品に育った。
10年前、八朔独特の味と酸味と苦みを信じ、数種の柑橘大福を特化し、失った愛妻との夢であった広島市へ出店する。
あれから40年思えば長くて短い懐かしい思い出である。
現在、3代目若い後継者が50・60周年に向けて取り組んでいる。