2011年9月27日の朝日新聞で取り上げて戴きました。
今の生活が楽しいと話す(左から)柏原伸一さん、夏子さん、洋洋さん、龍一さん=尾道市因島田熊町
全国的な人気を誇る尾道・因島の「はっさく大福」の考案者、柏原伸一さん(70)の店「もち菓子のかしはら」が7年ぶりに復活した。後継ぎは娘婿の中国人、龍一さん(23)で、日本の伝統の技を習得しようと修業に励んでいる。
柏原さんは2004年10月、長年連れ添った妻を亡くし、気力を失い、翌11月に店をたたんだ。店の存続を願う手紙や電話が相次ぎ、再開するか悩んだが「人を喜ばせられる菓子を作れるような状態ではなかった」と振り返る。人と会うのが怖いと感じるようになり、広島市に移った。
だが、その生活も孤独を消してはくれなかった。支えてくれる人が欲しいと思うようになり、知人から紹介を受けた中国人の夏子さん(46)と中国・大連で見合い。夏子さんも夫を亡くしており、同じ痛みを知る者同士支え合おうと、07年に再婚した。しばらくはただ毎日散歩し、互いの傷を癒やす生活を送った。広島と因島をしばらく行き来し、1年ほど前に因島に落ち着いた。
今年になって、日本で働いていた夏子さんの一人娘の洋洋さん(24)が、広島に留学中の龍一さんと結婚することに。広島市内の料理店で働いていた龍一さんから後を継ぎたいという申し出を受け、7月に店を再開した。龍一さんは「元々料理やお菓子作りが好きで、日本の伝統食品にも興味があった。(柏原さんの餅を)食べたらおいしくてやってみたいと思った」と話す。
子どもができなかった柏原さんにとって、後継ぎの育成は「すごいやりがいがある」。指導を始めてから、ぐっすりと眠れるようになり、食事もしっかりとるようになったという。
「おいしくない物を作ると『お客さんに出せない!』とすごい怒られるけど、この生活は楽しい」と龍一さん。赤飯の注文を受けて420パックを納めた翌日、食べた人たちが「おいしかった」と次々、店に来てくれたのが自信になった。「お客さんに認めてもらう喜びを知った。おいしいもち菓子を出したい」
米の洗い方や蒸し方、あんこの炊き方、餅のつき方など、覚えなければならない技術は100以上ある。柏原さんは「筋はいい。普通の餅屋として地域に愛される3代目になってほしい」と期待を寄せる。
夏子さんも今の生活が気に入っている。「夫は優しいし、きれいな景色が好き」。洋洋さんも「近所の人が優しくて毎日、おばさんたちがお菓子を持ってきてくれます」と笑顔を見せる。
再出発の店舗は、旧店舗のすぐ近くに新しく開いた。家族総出で作る看板のはっさく大福は、10月中旬ごろから店頭に並ぶ。(後藤泰良記者)